スポンサードリンク

2007年09月30日

くりはら田園鉄道 くりでん

くりでんの魅力は、田園地帯を走り、鉄橋を走り、トンネルを走るところではないかと思いました。三迫川の赤い鉄橋を走るポイントへ行ってきました。時折、魚が飛び跳ねる音が聞こえてくる静かな場所でした。くりでんはゴーゴーとけたたましい音を響かせながらあっという間に通
り過ぎていきました。


宮城県北部、登米市と栗原市を結ぶ25.8Kmの路線「くりはら田園鉄道」(通称くりでん)は大正 7年12月15日「栗原軌道株式会社」として発足以来、地域住民の足として、また細倉鉱山の貨物輸送そして栗駒国定公園への観光などで重要な役割を果たしてきました。
  昭和16年には「栗原鉄道株式会社」、昭和30年には「栗原電鉄株式会社」に商号変更。昭和39年には「陸前乗合自動車株式会社」と合併し,「宮城中央交通株式会社」に商号を改めましたが、昭和44年にバス部門を分離し再び「栗原電鉄株式会社」と改めました。

  しかし、年々減り続ける乗客数、細倉鉱山の廃鉱などにより欠損補助金助成が打ち切られ廃線の危機に陥ります。が、平成5年12月15日より経営を第三セクターに移管。電化を廃止し平成7年4月1日より「くりはら田園鉄道株式会社」に商号を変更し現在に至っています。



営業車両

ワフ74号車とト102・103号車

ED202とワフ71
KD95形気動車 KD951〜953
電化を廃止し内燃化に移行した際に3台が新製された富士重工業製の車体長16m級の軽快気動車(LE-DC)。外観は前面貫通式で貫通扉上部にはレトロ風カンテラを模した前照灯を装備。また第三セクター移行の際にホームが嵩上げされ、そのホーム高にあわせた車体設計のため乗降扉の足元の位置はやや高めで、逆に扉下段差(ステップ)の高さは極力抑えられ、車体側面の扉下側はJR東日本キハ100系気動車同様、全く張り出しがないすっきりしたデザインとなっている。内装は宮城県産木材を利用した床、手すり、格納式テーブルに1×2セミクロスシートの組み合わせと凝った作りになっている。ワンマン対応。
KD952は「oh!バンデス号」として2006年4月に運行を開始。
2007年3月16日より、廃止を告げる「90年間ありがとうございました」のステッカーを先頭車の前面に貼付している。さらに同月27日からは同ステッカーの周りに花の装飾を施すと共に、側面に「さよならくりでん90年」の垂れ幕が掲出された。
KD10形気動車 KD11・12(旧名鉄キハ15・16)
輸送力強化のため1995年に名古屋鉄道から転入。主に通学目的の多客時間帯と専用列車の用途にとどまり、晩年は予備車扱いとなった。ワンマン対応工事は最後まで行われなかった。
廃止直前には団体専用列車に使われていた。
※2007年6月現在、KD95形気動車の譲渡先は決定していない。譲渡が進まない理由として、上記に挙げた乗降扉の位置の高さでは、非電化地方鉄道にまだ多く残る760mmホーム高で段差が300mmを超えて法律上導入できないことも影響しているのでは、とも言われている。

事業用車両
DB10型機関車 DB101
MC100型 保線用モーターカー
ト102/103号車 木造無蓋車
ワフ74号車 木造緩急車

保存車両など
栗原電鉄時代に使われていた電車が、第三セクター化後廃線時まで、解体されずに若柳駅の車庫に置かれていた。また、細倉マインパーク前駅には、電気機関車ED202と木造の有蓋緩急貨車ワフ71が静態保存されている。
posted by ツル at 19:27| Comment(35) | TrackBack(3) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

くりはら田園鉄道

線路、駅舎、鉄道設備など全体が昭和を彷彿とさせる。
貨物列車が走っていた頃は活況を示していたのだろうか。
そのころは私鉄であったがそれでも電車は古く左右に車体を揺らしながら走っていた。
第三セクターに転換されたがその時車両をすべて新車のデイゼルカーに変えた。そのため車内は清潔でボックスシートとロングシートの座席で走行時にあまり揺れることもなくなった。


歴史
1918年(大正7年)12月15日 栗原軌道株式会社設立
1921年(大正10年)12月20日 石越〜沢辺間(8.85km)開業
1922年(大正11年)12月17日 沢辺〜岩ヶ崎(現・栗駒)間(7.73km)開業
1941年(昭和16年)12月3日 軌道法による軌道から地方鉄道法による鉄道に変更。栗原鉄道と改称
1942年(昭和17年)12月1日 岩ヶ崎〜細倉鉱山間(?km)開業。全線で26.2km
1952年(昭和27年)9月21日 電気運転開始(直流750V)
1955年(昭和30年)9月26日 軌間を762mmから1067mmに変更
1955年(昭和30年)11月29日 栗原電鉄と改称
1964年(昭和39年)6月1日 陸前乗合自動車を合併。宮城中央交通と改称
1968年(昭和43年)8月31日 バス部門を分社(宮城中央バス)
1969年(昭和44年)2月25日 再度栗原電鉄と改称
1987年(昭和62年)3月29日 細倉〜細倉鉱山間休止。貨物営業廃止
1988年(昭和63年)11月1日 細倉〜細倉鉱山間(0.7km)廃止(10月27日とする文献あり)
1990年(平成2年)6月16日 細倉〜細倉マインパーク前間(0.2km)開業。細倉駅廃止
1993年(平成5年)12月15日 親会社の三菱マテリアルが株式を沿線5市町村(当時)に譲渡、第三セクターとなる
1995年(平成7年)4月1日 くりはら田園鉄道と改称。電化廃止。ワンマン運転開始
2007年(平成19年)4月1日 鉄道輸送廃止。バス輸送(ミヤコーバス)へ転換

運行形態
2時間に1本程度で、朝と夜の2往復は土曜日と休日は運行されず、その代わりとして午前中に1往復が土曜・休日に運行されていた。
posted by ツル at 19:19| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

くりはら田園鉄道線

るくりはら田園鉄道(旧栗原電鉄)が2007年3月でついに廃止されまた一つローカル鉄道が消えてしまった
時代の流れと思わなければならないのか?

3セクにしなければもう少し長生きしたのだろうか?

そういう私も車で見に行ってるである

くりはら田園鉄道線(くりはらでんえんてつどうせん)は、宮城県登米市の石越駅と宮城県栗原市の細倉マインパーク前駅まで結んでいた、くりはら田園鉄道の鉄道路線である。前身は栗原電鉄(くりはらでんてつ)で、略称はこれと共通するくりでんまたは栗鉄である。

路線データ (廃止時)
路線距離(営業キロ):25.7km
軌間:1067mm
駅数:16駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
閉塞方式:
スタフ閉塞式(石越〜若柳間、栗駒〜細倉マインパーク前間)
タブレット閉塞式(若柳〜栗駒間)


前身である栗原電鉄は、旅客輸送と共に、細倉鉱山で採取された鉱石や沿線で収穫された穀物などの貨物輸送を担っていた。1921年に部分開通し、1942年に石越から細倉鉱山までの全線が開通している。細倉鉱山から先、秋田県の湯沢まで延長する構想も噂されたことがあった。その後、直流電化および改軌がなされた。最盛期には、石越から東北本線に乗り入れ、仙台まで直通する旅客列車も存在した。

しかし、1988年に細倉鉱山が閉山となると経営状態は次第に悪化していった。鉱山跡地を改装したテーマパークである細倉マインパークが開園したことで観光客輸送にも期待がかかったが、減少する利用者数に歯止めをかけることはできなかった。こうした厳しい経営状態の中、沿線自治体などが協議した結果、第三セクター方式で鉄道路線を維持することが決定され、1995年4月1日に、栗原電鉄はくりはら田園鉄道として再出発した。

再出発に当たって運行費を削減するため、電化を廃止し、運行する車両を電車から気動車に変更された。電車線(架線)は撤去されたものの、架線柱などは存置されたため、電車時代の面影が廃線時まで残っていた。

全列車が1両単行によるワンマン運転を行っていた。無人駅がほとんどであった。運賃は、苦しい経営状態を反映してか、かなり高額の部類に入っていた(JR線の約2倍)。

タブレットおよび腕木式信号機が使用されていた。

沿線自治体の度重なる協議の結果、2007年3月31日をもって鉄道輸送を廃止することが決定し、翌4月1日からバス輸送に転換された。
posted by ツル at 19:13| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
スポンサードリンク
dummy dummy dummy

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。